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2017/03/03

鯵のムニエル

先日、刺身にした残りの鯵だが、塩焼きではなくて、ムニエルにした。

<鯵のムニエル>
他はニラ玉、納豆とオクラ、大根の甘酢漬け

030217鯵のムニュエルとニラ玉など




<ビーフ・ステーキ>
330グラムで400円ほどで売っていた肉を買ってきた。
これが、想像以上に柔らかかった。
付け合わせは、粉吹き芋、絹さや、トマト、レタス。

030217ステーキ







国の財産を掠め取ることには知恵があるようだ!


国会の中継をネットで見ていて、ため息が出た。

能面ヅラの官僚はぬけぬけとシラを切り、「でんでん」は意味不明なことを喚き散らす・・・

己の出世のためなら、なんでもありの役人根性。

「でんでん」は、厚かましくも国の財産を全て自分のものと勘違いしている。

良心とか誠意とは無縁の世界。

こんなのがいつまで大手を振って、国の最高責任者と自称させておいていいのか?

このままでは確実に日本は滅亡する。

天誅を下さねば・・・





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読み終えた本 維新の夢 渡辺京二コレクション[1] 史論 (ちくま学芸文庫)

渡辺京二「維新の夢」

内容(「BOOK」データベースより)
『逝きし世の面影』の著者渡辺京二は、日本近代史の考察に、生活民の意識を対置し、一石を投じてきた思想家である。その眼差しは表層のジャーナリズムが消費する言説の対極にある。本巻には、西欧的な市民社会の論理では割り切ることのできない、大衆の生活意識にわだかまる「ナショナル」なものを追求した「ナショナリズムの暗底」、明治国家への最大の抵抗者としての西郷隆盛を常識的定説から救抜する「逆説としての明治十年戦争」、北一輝と日本近代の基本的逆説の関連を問う「北一輝問題」など、日本近代史を根底から捉え返すことを試みた論考を集成する。





西郷 は「 道 に 志す 者 は 偉業 を 貴ば ぬ もの 也」 という 一句 を『 遺訓』 の なか に 残し て いる が、 むろん これ は 反 功利的 信条 の 告白 で ある。 「草創 の 始 に 立ち ながら、 家屋 を 飾り、 衣服 を 文 り、 美 妾 を 抱 へ、 蓄財 を 謀り な ば、 維新 の 功業 は 遂げ られ 間 敷 也。 今 と 成り ては、 戊辰 の 義戦 も 偏 へに 私 を 営み たる 姿 に 成り行き、 天下 に対し 戦死 者 に対して 面目 無き ぞ」、 有名 な 話 だ が、 西郷 は こう いっ て しばしば 涙 を 流す こと が あっ た そう で ある。 清廉 で あっ ても 無能 な 為政者 より、 たとえ 個人的 には 悪徳 が 認め られ ても 有能 な 為政者 の ほう が、 結果 として 国民 に 福利 を もたらす もの だ、 という のは われわれ の 近代 人的 な 常識 の 一部 で ある。 西郷 には こういう 結果 優先、 業績 至上 の 考え かた が どうしても 理解 でき なかっ た だろ う。 ドストエフスキイ 流 に いえ ば、 その よう な 考え かた には「 何 か いまわしい もの、 世道人心 を まっぷたつ に たち 割る よう な もの」 が ある からで ある。 明治 十年 戦争 は ある レベル で いえ ば、 実務 官僚 と 現実的 な 権力 執行 者 に対する 夢想家 の 反 功利主義 的 反乱 で あっ た。   宮崎滔天 は、 明治 十年 戦争 を ほとんど 何 の 留保 も なく 革命 戦争 として とらえ た おそらく 唯一 の 人物 で あっ た。 彼 の 論理 は 単純 で、 少なくとも 兄 八 郎 が 指導 者 で あっ た 熊本 協同 隊 に関する かぎり、 十年 の 役 は 官 賊 に対する 自由 民権 の 革命 戦争 として たたかわ れ た という、 文字どおり の 実感 から なりたっ て い た。

すべて 官 の つく 人間 は 泥棒 悪人 の たぐい で あっ て、 賊軍 とか 謀反 という のは 先験的 な 善 で ある という のが、 少年 の 日 に 彼 の 頭 に たたきこま れ た 信条 で あっ た。 その よう な 証明 以前 の 実感 を いだい て、 滔天 少年 は 蘇峰 の 大江 義塾 に 入る こと に なっ た。『 三十 三年 之 夢』 に ある とおり 彼 は そこ で ひどい 適応 不全 の 状態 に 陥っ た。 大江 義塾 は 熊本 における 自由 民権 主義 の 牙城 で ある のに、 なぜ この「 先天的 自由民権論 者」 は そこ で 激しい 違和感 に なやまさ れ ね ば なら なかっ た のか。 一言 で いう なら ば、 彼 は 蘇峰 の 開明 的 な 自由 民権 主義 に 武力 反抗 の エトス が まったく 欠落 し て いる こと を 本能的 に 見抜い た ので ある。 彼 の 直感 は まったく 正しかっ た。 なぜ なら 蘇峰 は 逆 に かつて の 協同 隊員 が 結成 し た 相愛 社 に 西郷 的 武断主義 者 の におい を かい で、 嫌悪 し 軽侮 し て い た からで ある。 滔天 は 蘇峰 における 武力 反乱 の 衝迫 の 欠如 が、 彼 の 功利主義 的 志向 と 本質的 に 関連 し て いる こと も 同時に 見抜い た。 彼 は 大江 義塾 を 去っ た。 なぜ なら 八郎 ゆずり の 水滸伝 豪傑 風 の 山 だ し 自由 民権 は、 それ が どの よう な 批判 に あたい しよ う とも、 その 明治 政府 への 暴力 的 否認 と 反 功利主義 的 心情 という 核心 において、 とうてい 蘇 峰 流 の 上昇 志向 の 体制 意識 とは あい 容れる こと が でき なかっ た からで ある。 八 郎 風 な 時代 おくれ の 古風 な 志士 意識 は、 どの よう な 劣性 に まとい つかれ て い た に せよ、 その 徹底的 な 反 官 主義 において、 すべて 官 と 名 の つく もの を 盗賊 と みなす アジア 共同体 農民 的 な アナーキズム、 創出 さ れる 資本 制 市民社会 的 諸 体系 から 逃避 する 下層 共同体 住民 の 幻想 と 連合 する 可能性 を もっ て い た。 西郷 と 八郎・滔天 を つなぐ 一線 は、 この よう な 反 功利主義 的 心性 の 訴求 力 という 方向 で、 かすか に しかし 確実 に うかびあがる。(『逆説としての明治十年戦争』より)



この本を読んで、村上一郎の「幕末・非命の維新者」を思い出した。成り上り貴族になんかなった桂や木戸にくらぶれば、倒幕運動の中ばで命を落とした無名の志士たちの声が、西郷には聞こえたのだろう。


孫文の中国革命に共鳴して中国各地で活躍する宮崎滔天のことは少しは知っていたのだが、改めて、この八郎、滔天兄弟のラジカルな姿勢にえらく感動させられた。「三十三年の夢」を持っているので、少し読み返してみた。


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