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2011/01/06

バジェ・グランデ

1月6日(木)小雨 肌寒い 
朝一番に昨日目星をつけておいたホテルに行くが、満室とのこと。やむなく他を探すと、1月26日広場のすぐ近くに「レジデンシアル バジェ・グランデ」という宿を発見。こちらは感じのよいおばさんがやっていて、トイレ・シャワー付きの個室(これがマトリモニオ用で広い)が40B(500円ほど)。昨晩のホテルより値段が半額、しかも設備は遜色ない。さっそく荷物を取りに戻りこちらにチェンジ。

<レジデンシャル・バジェ・グランデ>
レジデンシャル・バジェ・グランデ

トイレ・シャワー付きで40B=500円ほど



朝食は市場でパンとコーヒーで済ます。
<市場の食堂街>
市場の食堂

<ホテルのすぐそばの1月26日広場>
1月26日広場


<広場の向かいにある博物館>
博物館


ホテルのすぐ近くに博物館があり、チェの写真などが展示してあった。今まで見てきたのとは違った写真を発見。渡河をしているゲリラたちである。他は知っているものばかりだった。
<渡河中のゲリラたち>
渡河中のゲリラ

<同じくチェ>
渡河中のチェ

午後は、チェの遺体を公開した病院に行く。
<病院>
病院



遺体を置いていた洗濯場にはそこらじゅうに落書きがあった。


<遺体が置かれた病院の洗濯場>
洗濯場外観

<遺体が置かれた洗濯場>
洗濯場




夜、ホテルの薄灯りのもとでマリー前村著「革命の侍」を読む。ほぼ読了。
革命の挫折の理由がいくつかあげられていた。
ざっと挙げると以下の通り。
①地理的条件など場所の設定で最悪のところ・・・渓谷が鋭く渡河が困難。ドブレたちが調査した他の2か所と較べると一番条件が悪い所を選択した。
②食料・・・自生の果物や食料となる野生動物などがいない。
③兵站と補給・・・都市部とのパイプを断たれたため、補給が困難になる。ボリビア共産党の書記長モンヘの裏切り。これはカストロにも問題あり。中ソ論争の中で親ソ派だったボリビア共産党が武装闘争を支持するとは思えない。そうした判断をカストロがチェに伝えなかったのか。
④脱落者や捕虜の処遇・・・チェは殺さなかった。そのため、脱落者たちは後に逃亡、密告者となり、ゲリラの情報が筒抜けになった。
⑤ドブレとアルゼンチン画家・・・この二人を安全な場所から脱出させようとしてゲリラ部隊が無駄な動きを強いられた。国際的な広報活動としては二人の存在は大きかったかもしれないが、実践の場面では足手まといになってしまった。
⑥農民との連帯・・・ニャンカウアスー川のあたりの農民は政治意識が低く、密告されたり、罠に嵌められたりした。農民との連帯は机上の空論に終わった。
⑦鉱山労働者との連帯を模索すべきだった。・・・「モーターサイクル日記」に書かれたチェの鉱山労働者への尊敬の念はどうなったのか?

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